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ヒップホップ──複製技術の徹底化と、同一性の生成

ヒップホップは、複製技術を単なる前提条件として受け入れるだけでなく、それを文化的・実践的に徹底化した音楽ジャンルである。DJによるレコード操作、ブレイクビーツの反復、サンプリング、ラップという声の配置はいずれも、「オリジナル/コピー」という近代的区別を攪乱し再配列することで、その自明性を不安定化させる。

ここで重要なのは、ヒップホップが起源の喪失を嘆くのではなく、いわば起源を作り直す技術として複製を用いた点にある。サンプリングは過去の音源を引用する行為であると同時に、それを新たな文脈へと再配置する行為であり、その反復によってのみ成立する現在を生み出す。すなわちヒップホップにおいて同一性は、あらかじめ存在する本質ではなく、反復可能な実践のなかで立ち上がる出来事である。

この点を理論的に把握する際、有効なのは同一性を「表現」ではなく「遂行」として捉える視座である。たとえば、ジュディス・バトラーが示したパフォーマティヴィティの概念は、ヒップホップにおける「リアル」「レペゼン」「ストリート」といった語の作動を理解するための重要な補助線となる。これらは内面の真実を表す記号ではない。それらは繰り返し名指され、演じられ、応答されることによってのみ成立する社会的効果である。

この意味で、ヒップホップはロックとは異なる仕方で「主体」を扱う。ロックも複製技術による主体の不安的化を前提とするが、なにものとも確定しがたいどこまでもズレていく逃走と、その切断線こそを批評性として発揮した。一方でヒップホップはむしろ主体を作り出す方向へと複製技術を動員する。

とはいえ重要なポイントは、MCたちは「自分は誰か」を語るが、その語りは告白とはいえないところにある。それは常にビートの上で、他者の声や過去の音源との関係のなかで行われるからだ。主体はここで、内面の深さではなく、関係の編成として立ち上がる。それがヒップホップにおける更新された主体=責任概念である。

トリーシャ・ローズが『ブラック・ノイズ』で示したように、ヒップホップは都市空間、産業構造、人種政治と切り離せない。重要なのは、これらが単なる背景ではなく、サウンドや言語の内部にまで組み込まれている点である。騒音、断片化、過剰な反復といった特徴は、都市的経験や資本主義的条件を表象するのではなく、その作動様式を音響的に再現している。

たとえば、既存音源のごく短い断片を切り出してループ化し、拍の取り方やアクセントの置き方を変えながら別のリズム論理へと再配置するという手つきは、過去の引用を、いまこの場のグルーヴ(身体のノリ)を立ち上げるための推進力へと変換する。

そこでは、断片は参照点として保存されるより先に、反復によって時間感覚を組み立てる部品として働き、聴取は意味の回収というより、ビートが継続的に更新する期待と緊張の流れに巻き込まれていく。それはまさしく資本主義的な更新の強制と同型に見えるが、既存素材の転用によって起源や所有の論理をずらし、別の共同的時間を編み直す契機にもなりうる。

しかし同時に、ここには明確な緊張が存在する。ヒップホップが複製技術を徹底化すればするほど、「リアル」や「オーセンティック」という語が、かえって強く要請される局面が生じるからである。誰が本物か、誰が偽物か、どの語りが正当かという問いは、ジャンル内部で絶えず反復される。このとき同一性は、生成のプロセスであると同時に、排除の境界線としても機能し始める。

この問題は、社会状況としてのいわゆる新自由主義と無関係ではない。新自由主義は主体に対し、流動的であること、自己を絶えず更新すること、競争的に可視化されることを要求する。その一方で、失敗や不安定さの責任を個人に引き受けさせる。この構造のもとでは、「確かな自分」「揺るがない帰属」への欲望、すなわち存在論的欲望がむしろ強化される。

ヒップホップは、この条件に対して二重の応答を示す。一方では、サンプリングや自己神話化を通じて、不安定な条件のなかで同一性を立ち上げる戦略を提供する。ジェフ・チャンが『ヒップホップ・ジェネレーション』で描いたように、それは歴史的に抑圧されてきた人々が、自らの位置を可視化するための強力な技術であった。

しかし他方で、その戦略が制度化され、市場やメディアに回収されるとき、ヒップホップは存在論的欲望をそのまま補強してしまう危険も孕む。純度、真正性、敵味方の明確化は、複雑な関係性を単純な対立へと還元し、新自由主義的競争原理と共振する可能性がある。高度な文脈操作が、逆説的にベタな同一性への欲望を呼び戻してしまうのである。

この点で、ヒップホップはロックの「切断」や「逃走」とは異なる危うさと可能性を併せ持つ。ヒップホップは存在を否定するのではなく、存在を作る。だがその生成は常に不安定であり、反復をやめれば失効する。だからこそそこには、固定化への誘惑と、それを再び撹乱する運動が強く共存する。

ヒップホップにおいて同一性は与えられた本質ではなく、複製技術、社会条件、身体的実践の交点で一時的に成立する。その絶えることのない運動を駆動するビートとして生成し続けるか、それとも再び本質へと固定化するか──その緊張こそが、ヒップホップの批評的ポテンシャルであり、同時に限界でもある。

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