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Wu-Tang Clan と水牛楽団 ― 内部と外部をめぐる複雑な緊張

1. 導入

関係論的ノイズ論(RNT)の立場から音楽を捉えるとき、重要なのは「外部からの異物導入」ではなく、
関係そのものの運動の中で差異が生じ、即興的応答が生成され、循環が更新され続ける過程である。
この視点に立つと、ポピュラー音楽と実験音楽という従来の区分は意味を失い、
むしろそれぞれが異なる条件のもとでどのように差異を生成し、応答し、関係を更新しているかが問題となる。

その観点から、アメリカのヒップホップ集団 Wu-Tang Clan と、
日本の作曲家 高橋悠治 を中心とする 水牛楽団 は、時代も場所も異なりながら、
ともに「内部と外部をめぐる複雑な緊張」を独自の形で体現した例として照射できる。


2. 水牛楽団:外部志向と内部関与の二重構造

1978年に結成された水牛楽団は、アジアの民衆歌・抵抗歌の採譜と演奏を基軸に、
演奏の場における参加者の相互応答を重視した。
その活動は「反アカデミズム」「反商業主義」として語られ、確かに資本主義的音楽文化の外部を志向していた。

しかし一方で、刊行物『水牛通信』の編集やコンサート企画といった
制度的ネットワークへの関与を持続し、完全に外部へ離脱することはなかった。
これは、同時期にアカデミズムを離れ政治的実践に転じたコーネリアス・カーデューとは対照的である。

この運動には二重の力学が働いていた。
(1) アジアの民衆歌・抵抗歌の採譜/演奏を基軸とし、演奏の場での参加者間の相互応答に重心を置く実践(=外部志向)。
(2) 既存制度との微細な関与を保持し続けた運動構え(=内部関与)。

この「外部への志向」と「内部への関与」の緊張こそが、水牛楽団を駆動する原動力であった。
RNT的に言えば、彼らの実践は固定的な内/外を前提せず、関係の再配線そのものを生成の場として維持したのである。


3. Wu-Tang Clan:内部差異化とノイズの生成

Wu-Tang Clan は1990年代初頭のニューヨークに登場し、
粗いサンプリング、香港クンフー映画の断片、五分派(Five Percent Nation)の思想を混交させた。
この手法は、ヒップホップの主流的秩序を揺るがすものだった。

彼らはグループ=母体としての活動を維持しつつ、各メンバーが自由にソロ展開できる契約スキームを構築し、
市場内部で差異を持続的に生み出す循環構造を作り上げた。
ファンダム、商業的成功/失敗、地下活動のすべてが、彼らにとって更新の契機であった。

また、RZAを中心とするローファイなプロダクションは、
サンプリングのズレやテープヒスを意図的に残し、劣化や不均衡そのものを音楽的質感として提示した。
ノイズは障害ではなく、関係を撹乱し更新する生成的要素となり、MCの声とビートの相互干渉が内部フィードバックとして機能した。

この構造は、「外部を志向する」ものではなく、
むしろ資本主義的市場という内部に踏みとどまりつつ、
その内部差異を拡張し続けるノイズ生成の装置として理解できる。


4. 交差項:両者に共通する「アジア」への関心

両者に共通するのは、「アジア」を差異生成の媒介として位置づけた点にある。
水牛はアジアの民衆歌を翻訳・採譜し、合唱による共有実践を通じて関係を再配線した。
Wu-Tangは香港映画や武侠語彙をサンプリングし、音響記号の再配線によってヒップホップ内部に差異を導入した。

水牛にとって“アジア”は実践的連帯の場であり、
Wu-Tangにとっては記号的連結の場である。
前者が現場的関係を生成し、後者が象徴体系を攪乱する——両者は方向こそ異なるが、
どちらも“アジア”を外部として固定せず、関係そのものを更新する生成のハブとして活用した。

RNT的に言えば、

アジアとは、両者において関係の運動を変調させるノイズ=差異の発生点である。


5. 錯綜する緊張

この比較から浮かび上がるのは、「内部と外部の緊張」が
制度や市場への態度の違いではなく、他者性をどのように作動させるかという問題として現れることである。
水牛は、外部(社会運動や他地域)への開放を通じて差異を生成し、
Wu-Tangは、内部(市場やメディア)のなかで差異を増幅させた。
両者はそれぞれの内部構造を介して他者性=ノイズを再生産し、
結果として「内/外」という境界そのものを撹乱する生成運動を展開した。

アジア的要素は、どちらにおいても単なる引用ではなく、
関係を攪乱し、循環を再起動させる触媒として機能している。
そこでは文化的“他者”はすでに外部ではなく、
内部で生成を駆動するフィードバック的ノイズとして働く。


6. 小結

RNTの観点から見ると、両者の実践は「外部の導入」ではなく、
関係の内部で差異を持続的に再生成する構造を示している。
水牛楽団は、制度と現場を往還しながらアジアの民衆歌を媒介に応答的ネットワークを形成し、
Wu-Tang Clanは、市場の内部でローファイな音響と記号的差異を増幅し続けた。

両者の比較は、RNTを抽象的理論ではなく、
文化実践の生成力学を記述する分析モデルとして提示する。
“アジア”という媒介を通じて、音楽は制度・市場・文化の境界を越え、
差異・応答・循環が交錯する関係的生成の運動として現れる。
RNTの核心は、このような複雑な関係を複雑なまま維持し、
単純な二分法に還元せずに記述し続ける姿勢である。


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